犬の思い出

 私が犬を飼い始めたのは9歳の時だったと思う。それ以来私の生活には常に犬が一緒にいた。
 私の母は動物好きな人だった。犬、猫の他に父が研究所に努めていた関係で、モルモットやハムスターも一時は飼っていた。そのうちに保健所送りになりそうだったウサギまで加わって、ちょっとしたムツゴロウ王国だった。
 庭にウサギと犬を放して、追いかけっこするのを見たり、網をかぶせて庭の草をモルモットに食べさせる放牧もしていた。今から思うと、なんだかすごい家だ。

 全部の動物にそれぞれ思い出があるが、私にとって一番思い出深いのは犬だ。飼ったのは全部で4匹だった。全て雑種で、友達や動物病院からもらってきた犬だった。最初の犬は母が拾ってきた犬だったが、父は飼うことに猛反対した。
「もう一度捨てて来い。さもなきゃ、首を切ってやる。」

 その言葉は幼い私にはひどくショックだった。びっくりして泣きながら懇願して、「きちんと面倒を見ること」を条件に飼うことを許してもらった。この犬は飼って3年目に、帰省中に迷子になった。車に弱い犬で乗ると必ず吐いていたので、父が嫌がってトランクに入れたのだ。きっちり閉めると、窒息死するかもしれない、とやや薄めにトランクの蓋を開けておいたのだが、どうやら信号待ちの隙にでも外に出てしまったらしい。それきりだった。
 これは今でもとても哀しい思い出だ。私は毎晩、どこかでさまよっている犬のことを思って布団の中で泣いた。

 そんな私を不憫に思ったのか、母が動物病院から子犬をもらってきてくれた。まだ目の開いていない状態で、空き地に放置されていたのを保護されたそうで、本当に小さく愛らしいその子犬に私は現金なものですぐに夢中になった。
 あまり可愛いし、夜中に外においておくと寂しがって鳴くので、私はこっそり自分の部屋に連れ込んでいっしょに寝ていた。それがばれて、父に雷を落とされた。
「家の中で飼うのだけはだめだ。守れないなら捨てて来い。」

 父は有無を言わせなかった。
 それ以来家の中で犬を飼うことは、私の夢になった。
 この犬も次の犬も、皆フィラリアで死んだ。蚊を媒介にして体内に入り、ついには心臓部に巣くう恐ろしい回虫で、当時はそんなにいい薬もなかったし、信じられないほど高かったので、咳をして弱っていく犬をただ見ているしかなかった。これはとても辛かった。
 医者の薦めで最後は安楽死をさせたが、冷たくて硬くなった身体に触れてたまらなく哀しかった。

 最後に飼った犬は、初めての雌犬で、避妊をさせていなかったので、いつの間にか妊娠していた。びっくりしたが赤ん坊の生まれる日が待ち遠しく、家の裏の物置の下に穴を掘り、出産した時はうれしくて毎日様子を見に行った。
 子犬は全部で4匹生まれていたが、出産の翌日、なぜか一匹は冷たくなってしまっていた。庭に小さな穴を掘ってお墓を作って埋めてやった。
 残りはオス一匹、メス二匹だった。

 この子犬達の成長を見るのは本当に楽しかった。
 最初はわからなかったが、3匹ともにはっきりと個性があり、
「ああ、同じ親から生まれても一つ一つ違う命なのだなあ。」
という感動があった。
「まだ可愛いうちに、もらい手を見つけましょう。」
と母が提案して、ペットショップが行っていた里親フェアにも連れて行ったが、もらわれていったのはやはりオス一匹だけ。この子は3匹の中で一番活発で元気が良かったので、アピールも良かったのだろう。

 貰い手の見つからなかった二匹を連れてかえったら、不思議なことに母犬がうなり声を上げた。子犬たちはいつものように、母犬のおっぱいを捜して腹の下にもぐりこもうとするのだが、母犬は嫌がって逃げまわっていた。
 フェアの間に違う匂いが、子犬たちに染み付いてしまったのだろう。時間が経つにつれて、また元の親子に戻ったが、たった一日いなくても我が子を忘れることがあるのか、と私は笑ってしまった。

 その後、結局残りの二匹も無事にもらわれていき、時同じくして私も結婚して実家を離れた。その2年後、母犬は母が散歩中にちょっとリードを離した隙に、車に轢かれて死んでしまった。はねられた瞬間を見てしまった母は、大変なショックを受け、それからはもう犬は飼いたくないと言ってそれきりになった。

 犬はいつも私の心のオアシスだった。どんな時でも、いつもちぎれんばかりに尾をふって私の顔をなめてくれる。彼らだけはどんな時でも、私を歓迎してくれたし、私の存在を喜んでくれた。彼らの存在は、私にとって癒しであり、自信を与えてくれるものだった。
 いつ、どんな時でも、無条件に愛してくれる彼らがいたからこそ、乗り越えられたこともあったと思う。親にも兄弟にも打ち明けられないことを、こっそり打ち明けるのもいつも彼らだった。
 結婚後、社宅暮らしを転々をしながら、やはり私は心の中でずっと犬との生活を求めていた。そしてそれは10年余り経ってやっと実現する。

 

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